2021.3.30 夜

日中はクロス円の上昇相場にも見えたのだが、シンプルにドル買いの相場のようだ。EURUSDが1.1760を割れたところで確認されたと思う。こうなるとGBPUSDとAUDUSDについても下落の可能性が大。今晩と明日あたりの値動きが正念場だろう。
明日は3月31日。期末の仲値とロンドンフィックスがある。今回は米金利の急上昇でリバランスやら何やら、大きく動く可能性がある。以前1990年の仲値操縦について3年前に書いたことがあるのだが、読みたいというリクエストがあったので以下に貼り付けます。尚、確認したところ、操作に使ったブローカーは3番手4番手のブローカーだけでなく、全ブローカーだったということです。


1990年3月30日。この日も金曜日だった。現在でも仲値決めの時間前には不自然な値動き
を見せることが多いが、28年前の年度末だったこの日の仲値において、東京外国為替市場は最初で最後の、日本人による最大の為替レート操縦を経験した。この日の東京市場は、NY市場が156.60近辺で引けた後シドニーでじり高で、仲値決め直前には157.00-10あたりで推移していた。公示決定1分前、異変が起きた。突如2つのブローカーが「30テイクン40
買い」と叫びだした。続いて売りなしの状態で「40買い、50買い、60テイクン70買い」
といった感じでとうとう「90買い、158.00売り、テイクン。。。仲値は158.00です」
となり、なんと1分でドル円は1円上昇し、その高値で仲値が決められたのである。
当時仲値は主要邦銀の輪番で決められていた。その日仲値当番だった邦銀は年度末の仲値ベースで膨大な買い注文を持っていた。担当ディーラーは他行1行としめし合わせて、ブローカーも3番手4番手の会社だけを使ってレートを引き上げた。158.00を付けたドル円はその後あっという間に急落し、その5分後までには元の157.00-10まで戻ってしまったのである。


この相場操縦の結果、儲けたディーラーも損したディーラーもたくさんいたと思うが、
大方のディーラーは私も含め、あっけにとられてほとんど何もできなかったのではないか。大手1番2番ブローカーを使っていた人は何が起こっていたのかほとんど把握できな
かった。最大の損失を被ったのは1円上の仲値でドル円を買わされた顧客たちだろう。
現在の厳しいコンプライアンスと規制下では考えられないことだが、当時はおおらかで
ずぼらで原始的で、まだまだ未成熟な市場だった。この担当ディーラーも上席から顧客に迷惑をかけるなと叱られただけで大きな処分は受けなかったと聞いている。大蔵省日銀も事情聴取ぐらいはしたと思うが、結局大きな問題にはならなかった。この当時の担当ディーラーだった人も現在この業界でまだなお元気に活躍している。
その後のドル円であるが、157.00-10まで下落した後海外で上伸し、その日のNYは結局158.60あたりで引けている。4月に入りドル円は160円台に乗せた。活気のある上昇相場だったが、それが天井圏でこの相場は終焉を迎えた。私の記憶ではこの160円台が85年の
プラザ合意後、20世紀の最後の160円台だったと思う。(2018.3.30記)